引き返すという整え

引き返すという整え 人生後半の整え
引き返すという整え

昨日、ハローワークへ行った。

いくつかの求人票に目を通していると、とある学校の用務員の募集がふと目に留まった。派手な仕事ではないが、環境を整える役割にどこか惹かれるものがあった。

紹介状を出してもらおうか少し迷ったが、その場では決めきれず、一度ハローワークを後にした。

外に出ると、冬の空気が静かに頬を刺した。歩きながら考えていたのは、これまでの小さな後悔だった。「翌日でいいか」と思った求人が、次の日には消えていたことが何度かある。

あのとき動いていれば——
そんな記憶がふとよみがえった。

年齢のことも頭をよぎった。
「私は、何歳まで働けるのだろうか。」

だが同時に、もう一つの思いもあった。もしこのご縁がなかったとしても、運転の仕事という道がある。身体はきついかもしれないが、働く場所がまったくないわけではない。

そう思えたとき、不思議と気持ちが軽くなった。

余裕とは、選択肢があることなのかもしれない。

気がつくと、私は来た道を引き返していた。

再びハローワークの扉を開け、紹介状の発行をお願いした。帰宅後すぐに書類を整え、速達で郵送した。

そして今朝、何気なく求人を確認すると、その募集はすでに取り下げられていた。

間に合ったのだと思った。

あのとき引き返していなければ、この機会はもうなかったのだろう。

人生は、ときどき大きな決断よりも、数分の立ち止まりのあとに生まれる小さな行動によって動いていく。

若い頃の私は、前に進むことばかりを良しとしていた。だが今はわかる。引き返すという選択もまた、暮らしを整える大切な動きなのだと。

結果がどうなるかはまだわからない。けれど昨日の私は、経験に耳を傾け、静かに判断し、そして動いた。

それだけで十分だと思っている。

昨夜は好きな動画を見ながら、少しだけ自分を褒めた。

こういう夜があってもいい。

整えるとは、暮らしを大きく変えることではなく、小さな納得を積み重ねていくことなのだから。

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