朝、姉からショートメールが届いた。
特別養護老人ホームにいる母が、入浴後に少しふらついたらしい。
その後は他の入所者の方と談笑していたとのことで、大事には至らなかったようだが、休み明けに病院で診てもらうことになったという。
ほっとする気持ちと同時に、母はもう90歳なのだと改めて思う。
どんなに小さな変化でも、その奥に何かが潜んでいるのではないかと考えてしまう年齢だ。
けれど私は、一人ではない。
姉と情報を分け合い、負担を分散しながら両親を見守ることができている。
義父のことも、妻と励まし合いながら乗り越えてきた。
もしこれが一人だったなら——
そう思うと、今の状況は決して当たり前ではなく、むしろ恵まれているのだと気づかされる。
人生は、片付いたと思ったところに、また次の課題を静かに差し出してくる。
次の月曜日には、母の施設のカンファレンスがある。
今回は新幹線に乗って出席しようと思う。いつも姉に任せきりではいけない。
父もまた、実家と施設を行き来する生活を続けている。
見守りカメラが使えなくなってしまったので、そのメンテナンスも必要だ。
気がつけば、「予断を許さないこと」ばかりが続いている。
実はそれは、両親のことだけではない。
自分の仕事もまた、まだ確かな形にはなっていない。
それでも——
こうして書く場所があることに、最近小さな喜びを感じている。
毎日起こる出来事に戸惑いながらも、文章にすることで、少しずつ心が整っていく。
私はきっと、書くことが好きなのだろう。
遠回りをして、また原点に戻ってきたような気がしている。
65歳まで、あるいは70歳まで働き、その先の暮らしにつなげていく。
甘い考えかもしれない。けれど、人はどこかで希望を持たなければ前へ進めない。
不確かな日々の中で、確かなものが一つだけある。
それは——
自分を見失わずに生きていこうとする姿勢。
今日もまた、暮らしを静かに整えていきたい。

