以前の私は、年齢というものをどこかで気にして生きていた。
もう若くない。
いまさら始めても遅いのではないか。
そんな思いが、心のどこかにあった。
気づかないふりをしながらも、
年齢という数字に、小さく制限をかけていたのだと思う。
だが人生を重ねるうちに、
少しずつ考えが変わってきた。
本当に遅いということは、
果たしてあるのだろうか。
遠回りをしてきたからこそ見える景色があり、
時間をかけてきたからこそ分かることがある。
もしそうだとしたら、
それは遅れたのではなく、
その時が来ただけなのかもしれない。
若い頃には分からなかったことが、
いまなら静かに理解できる。
無理をしなくてもいいこと。
比べなくてもいいこと。
自分の歩幅で進めばいいということ。
それらは、時間が教えてくれたものだ。
最近は思う。
何かを始めるのに、
ふさわしい年齢などないのではないか、と。
あるのはただ、
「始めようと思った瞬間」だけなのだろう。
人はよく、もう遅いと言う。
だが本当に遅いのは、
年齢そのものではなく、
自分で可能性を閉じてしまうことなのかもしれない。
歩みがゆっくりでもいい。
形が小さくてもいい。
それでも一歩を踏み出せば、
人生は静かに動きはじめる。
振り返れば、これまでの道のりも、
決して無駄ではなかった。
迷った時間も、
立ち止まった日々も、
すべてが今の自分を形づくっている。
そう思えるようになってから、
未来への見え方が少し変わった。
もう遅いのではない。
まだ続いているのだ。
人生が続いている限り、
そこにはいつでも次の一歩がある。
急がなくてもいい。
大きな変化でなくてもいい。
ただ、自分が向かいたい方向へ、
静かに足を運べばいい。
どうやら人生とは、
早く始めた人が豊かになるものではなく、
始めた人から少しずつ開けていくものらしい。
まだ途中ではあるけれど——
最近の私は、そんなふうに思っている。
もう、人生に遅すぎることはない。
そのことに気づいたとき、
未来は思っていたよりも、ずっと静かで、やわらかいものに見えてきた。
人生は年齢で閉じるのではなく、可能性を信じたところから、静かに開いていくのかもしれない。
遅いのではない。その時が訪れただけなのかもしれない。
