若い頃の私は、「持つこと」が安心につながると信じていた。
経験を持つこと。
肩書きを持つこと。
評価を持つこと。
そうしたものが増えていけば、
人生は安定していくのだと思っていた。
だから失うことは、どこか怖かった。
何かを手放すたびに、
自分の価値まで小さくなってしまうような気がしていた。
だが人生を歩き続けるうちに、
少しずつ気づきはじめたことがある。
手放すことは、
必ずしも失うことではないのかもしれない、と。
たとえば——
人と比べることをやめたとき、
心のざわめきが静かになった。
自分を証明しようとするのをやめたとき、
肩の力が抜けた。
勝ち負けにこだわらなくなったとき、
景色が広く見えるようになった。
振り返れば私は、
何かを得るたびに自由になったのではなく、
むしろ何かを降ろすたびに軽くなってきたように思う。
手放すとは、
削っていくことではない。
余計に握りしめていたものを、
静かに緩めていくことなのだろう。
若い頃は、
多くを持つことが強さだと思っていた。
だが今は少し違う。
本当の強さとは、
もう必要ではなくなったものを見極め、
そっと置いていけることなのかもしれない。
もちろん、手放すには勇気がいる。
慣れ親しんだ考え方。
長く支えにしてきた価値観。
それらを降ろすのは、簡単ではない。
それでも一度手放してみると、
そこに新しい余白が生まれる。
不思議なことに、
人生はその余白に静かに入り込んでくる。
風が通るように。
光が差し込むように。
最近は思う。
人生の後半とは、
何かを足していく時間というより、
余計なものを少しずつ降ろしていく時間なのではないか。
軽くなるほどに、
見えるものが増えていく。
急がなくてもいい。
飾らなくてもいい。
ただ、自分のままで立っていればいい。
これから先も、
きっといくつもの手放しがあるだろう。
それを寂しいとは思わない。
むしろそのたびに、
私は少し自由になっていくのだと思う。
どうやら人生とは、
多くを抱える旅ではなく、
本当に大切なものだけを残していく旅らしい。
まだ途中ではあるけれど——
最近の私は、その軽やかさを少しずつ感じはじめている。
手放すたびに、人は自由になっていく。
どうやらそれは、
失うことではなく、
自分に戻っていくことなのかもしれない。
自由とは、何かを手に入れたときではなく、もう握りしめなくていいと気づいたときに訪れるのかもしれない。

