第六話 足りないままでも、人は幸せになれる

足りないままでも、人は幸せになれる 整える人生
足りないままでも、人は幸せになれる

若い頃の私は、いつもどこかで「足りない」と感じながら生きていた。

もっと経験が必要だ。
もっと認められなければならない。
まだ十分ではない。

そう思うことで前に進めた時期もあった。
不足を埋めようとする力は、確かに人を成長させるのだと思う。

けれど、その感覚はいつも私を急がせていた。

ここまで来れば安心できる。
これを手に入れれば満たされる。

そう思いながら歩いても、
なぜか「もう少し先」が現れる。

まるで終わりの見えない階段のようだった。

最近になって、ふと気づいたことがある。

もしかすると私は、
十分になる日など来ないものを追いかけていたのではないか、と。

そう思ったとき、不思議と肩の力が抜けた。

人生は、すべてが揃ってから始まるものではない。
むしろ、何かが足りないまま進んでいくものなのだろう。

振り返れば、どの時期の自分も未完成だった。

迷いながら選び、
間違えながら学び、
ときには立ち止まってきた。

それでも人生は止まらなかった。

もしそうだとしたら、
足りないことは欠点ではなく、
人生の自然な姿なのかもしれない。

最近は、そんなふうに思うようになった。

完璧でなくていい。
人並みでなくてもいい。

今ここにあるものを静かに受け取りながら、
自分の歩幅で進んでいけばいい。

そう考えるようになってから、
心の中に小さな余白が生まれた。

不足を数える代わりに、
すでに手の中にあるものを見るようになった。

特別な何かではない。

日々の暮らし。
穏やかな時間。
何気ない会話。

そうしたものが、思っていた以上に自分を支えていたことに気づいた。

幸せとは、何かをすべて満たした先にあるのではなく、
足りないままの今を受け入れたときに、静かに現れるものなのかもしれない。

これから先も、きっと足りないものはあるだろう。
それでももう、焦って埋めようとは思わない。

未完成のままで歩いていく。

どうやら人生とは、
完成を目指す旅ではなく、
未完成の自分と折り合いをつけていく時間らしい。

まだ途中ではあるけれど——
それでも、今のこの場所も悪くない。

最近は、そんなふうに感じられる瞬間が増えている。

足りないままでも、人は幸せになれる。

どうやら私は、そのことを少しずつ学びはじめているところらしい。

未完成のままでいいと知ったとき、人はようやく安心して生きられるのかもしれない。

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