ある日、妻がぽつりと言った。
「家の名義変更をしなきゃね。いつにする?」
少し前に同じ話をしたとき、彼女は「まだいい」と言ったはずだった。
だから私は、少しだけ不思議な気持ちになった。
けれど、人は歳を重ねると、言ったことも、言われたことも、少しずつ曖昧になる。
「何を言ったか分からなくなることもあるからね。悪かったわね。」
そう言って妻は笑った。
その言葉を聞いたとき、私は思った。
ああ、これは責める話ではないな、と。
人生の後半には、正しさよりも穏やかさの方が大切になる。
私は静かに、この手続きに向き合うことにした。
義父は一人娘である妻を残して旅立った。
相続としては、比較的シンプルなケースらしい。
それでも、戸籍を出生から死亡まで繋げる作業は、簡単ではなかった。
区役所の窓口に書類を出してから、気がつけば2時間。
番号はなかなか表示されない。
けれど、不思議と焦りはなかった。
妻と他愛のない話をしながら待つ時間は、
どこか穏やかだった。
昔の私は、「待つこと」が苦手だった。
効率ばかりを求めていた。
でも今は分かる。
待つ時間もまた、人生の一部なのだ。
結局、その時はすぐに戸籍を発行できず、夕方に再訪することになった。
久しぶりに、妻とあてもなく車を走らせた。
ランチをとり、コーヒーを飲み、また区役所へ向かう。
こうして書くと何でもない一日だけれど、
人生とは、案外こういう時間で出来ているのかもしれない。
帰宅後、戸籍を見返すと、小さな付箋がいくつも貼られていた。
いくつもの時代をまたぎ、修正され、繋がれてきた記録。
それを眺めながら思った。
人の一生は、紙の上にも確かに残る。
そして、その記録を次の世代が受け取っていく。
静かなリレーだ。
翌日、登記申請書を作成する予定だったが、激しい腹痛に見舞われた。
身体は正直だ。
無理はできない。
思い切って10時間眠った。
すると翌朝、驚くほど頭が澄んでいた。
そこでまた気づく。
整うとは、特別なことではない。
ただ、休むべきときに休むこと。
それだけで、人はちゃんと戻ってくる。
名義変更には、およそ4万円かかるらしい。
おそらく、義父に関する最後の出費になるだろう。
ひとつの人生が静かに閉じ、
手続きだけが残る。
けれどそれは、寂しいことではない。
むしろ——
きちんと終わらせることも、残された者の大切な役割なのだ。
義父のことがひと段落しても、
次は私たちの番がやってくる。
歳を重ねるとは、失うことではなく、
引き受けることが増えていくということなのだろう。
だから私は今日も、書類に向かう。
慌てず、静かに。
人生を整えるために。

