振り返ると、私は長い間、知らず知らずのうちに「誰かの基準」の中で生きてきたように思う。
こうあるべき。
このくらいできていなければならない。
人並みでなければならない。
いつからそう思うようになったのかは分からない。
ただ、それが当たり前のように感じられていた。
周囲に遅れないように。
見劣りしないように。
気づけば私は、どこかで「外側の物差し」を頼りに歩いていた。
もちろん、それが支えになる時期もあった。
社会の中で生きていく以上、基準は必要なのだと思う。
けれどある頃から、小さな違和感が生まれていた。
私はいったい、誰の人生を生きているのだろう。
そう思う瞬間が、少しずつ増えていった。
もっと早く気づいていたのかもしれない。
ただ、認める勇気がなかっただけなのだろう。
自分の道を選ぶということは、
ときに誰かの期待から外れることでもある。
それをどこかで恐れていた。
だが最近、ようやく分かってきたことがある。
人生は、本来とても個人的なものなのだ。
同じ道を歩く人はいない。
同じ景色を見る人もいない。
もしそうだとしたら、
誰かの基準に自分を合わせ続ける必要はなかったのかもしれない。
そう思えたとき、不思議と心が静かになった。
反抗するわけではない。
誰かを否定するわけでもない。
ただ、自分の足で立つ。
それだけのことだった。
若い頃は、「正解」がどこかにある気がしていた。
それを見つけさえすれば、安心できるのだと思っていた。
けれど今は少し違う。
正解は外にあるのではなく、
自分の歩いたあとに静かに残っていくものなのかもしれない。
遠回りに見えた道も、
迷いながら進んだ時間も、
振り返ればすべて自分の人生だった。
そう思えたとき、
肩に乗っていた見えない重さが、すっと軽くなった気がした。
もう、誰かの人生をなぞらなくていい。
うまくいかない日があってもいい。
人より遅くてもいい。
この歩みが自分のものなら、それでいい。
最近は、そんなふうに思える瞬間が増えている。
人生の後半とは、
何かを手に入れる時期というより、
余計なものを静かに降ろしていく時間なのかもしれない。
比べることも、
証明することも、
競争することも、
恐れることも。
少しずつ手放していく。
その先に残るのは、
驚くほど静かな自分の人生だ。
まだ途中ではあるけれど——
ようやく私は、自分の場所に立ちはじめた気がしている。
これから先も迷うだろう。
それでももう、誰かの地図を頼りに歩くことはないと思う。
自分の速度で、
自分の方向へ。
それだけで、十分なのだろう。
人生とは、誰かの期待に応えることではなく、自分の足で立つことだったのかもしれない。

