第十二話 整った朝にだけ、見えてくるものがある

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整った朝にだけ、見えるものがある

朝、目が覚める。
まだ家の中は静かで、時間がゆっくりと流れている。

湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
立ちのぼる湯気を眺めながら、窓の外に目を向けると、やわらかな光が庭先に差し込んでいた。

特別な朝ではない。
けれど、どこか満ち足りている。

以前の私は、朝というものを「一日の始まり」以上に意識することはなかった。
やるべきことを思い浮かべ、急ぐように支度をして、次の時間へ向かっていた。

だが最近は、少し違う。

整った朝には、不思議と心まで静まる。
そして、その静けさの中でしか見えてこないものがある。

たとえば、何でもないこの暮らしが、どれほど有り難いものかということ。

大きな出来事がなくてもいい。
遠くへ行かなくてもいい。

こうして穏やかな朝を迎えられること自体が、
すでにひとつの幸福なのだと気づく。

若い頃は、幸せとは何かを手に入れたときに感じるものだと思っていた。
だが今は、少し違う。

幸せとは、整った日常の中に、静かに置かれているものなのかもしれない。

急がない。
無理をしない。
足りないものばかりを数えない。

そんなふうに暮らしていると、
これまで気づかなかった小さな豊かさが、そっと姿を現す。

窓の外で揺れる木々。
湯気の向こうに広がる朝の光。
どこからか聞こえてくる生活の音。

それらはどれも控えめで、声高に何かを訴えることはない。
けれど確かに、暮らしを内側から温めてくれる。

人生は、劇的に変わることで豊かになるのではない。
どうやら、整えた日々の積み重ねによって、
静かに深まっていくものらしい。

これから先も、きっと同じような朝が続いていく。

派手さはない。
けれど、それでいいと思う。

こうした朝を重ねながら、
自分の歩幅で日々を生きていく。

それだけで、人生は十分に満ちていくのだろう。

整った朝にだけ、見えてくるものがある。

どうやらそれは、遠くにある特別な何かではなく、
いつもすぐそばにあったもののようだ。

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