朝、目が覚める。
まだ家の中は静かで、時間がゆっくりと流れている。
湯を沸かし、コーヒーを淹れる。
立ちのぼる湯気を眺めながら、窓の外に目を向けると、やわらかな光が庭先に差し込んでいた。
特別な朝ではない。
けれど、どこか満ち足りている。
以前の私は、朝というものを「一日の始まり」以上に意識することはなかった。
やるべきことを思い浮かべ、急ぐように支度をして、次の時間へ向かっていた。
だが最近は、少し違う。
整った朝には、不思議と心まで静まる。
そして、その静けさの中でしか見えてこないものがある。
たとえば、何でもないこの暮らしが、どれほど有り難いものかということ。
大きな出来事がなくてもいい。
遠くへ行かなくてもいい。
こうして穏やかな朝を迎えられること自体が、
すでにひとつの幸福なのだと気づく。
若い頃は、幸せとは何かを手に入れたときに感じるものだと思っていた。
だが今は、少し違う。
幸せとは、整った日常の中に、静かに置かれているものなのかもしれない。
急がない。
無理をしない。
足りないものばかりを数えない。
そんなふうに暮らしていると、
これまで気づかなかった小さな豊かさが、そっと姿を現す。
窓の外で揺れる木々。
湯気の向こうに広がる朝の光。
どこからか聞こえてくる生活の音。
それらはどれも控えめで、声高に何かを訴えることはない。
けれど確かに、暮らしを内側から温めてくれる。
人生は、劇的に変わることで豊かになるのではない。
どうやら、整えた日々の積み重ねによって、
静かに深まっていくものらしい。
これから先も、きっと同じような朝が続いていく。
派手さはない。
けれど、それでいいと思う。
こうした朝を重ねながら、
自分の歩幅で日々を生きていく。
それだけで、人生は十分に満ちていくのだろう。
整った朝にだけ、見えてくるものがある。
どうやらそれは、遠くにある特別な何かではなく、
いつもすぐそばにあったもののようだ。
