第九話 もう、人生に遅すぎることはない

もう、人生に遅すぎることはない 整える人生
もう、人生に遅すぎることはない

以前の私は、年齢というものをどこかで気にして生きていた。

もう若くない。
いまさら始めても遅いのではないか。
そんな思いが、心のどこかにあった。

気づかないふりをしながらも、
年齢という数字に、小さく制限をかけていたのだと思う。

だが人生を重ねるうちに、
少しずつ考えが変わってきた。

本当に遅いということは、
果たしてあるのだろうか。

遠回りをしてきたからこそ見える景色があり、
時間をかけてきたからこそ分かることがある。

もしそうだとしたら、
それは遅れたのではなく、
その時が来ただけなのかもしれない。

若い頃には分からなかったことが、
いまなら静かに理解できる。

無理をしなくてもいいこと。
比べなくてもいいこと。
自分の歩幅で進めばいいということ。

それらは、時間が教えてくれたものだ。

最近は思う。

何かを始めるのに、
ふさわしい年齢などないのではないか、と。

あるのはただ、
「始めようと思った瞬間」だけなのだろう。

人はよく、もう遅いと言う。

だが本当に遅いのは、
年齢そのものではなく、
自分で可能性を閉じてしまうことなのかもしれない。

歩みがゆっくりでもいい。
形が小さくてもいい。

それでも一歩を踏み出せば、
人生は静かに動きはじめる。

振り返れば、これまでの道のりも、
決して無駄ではなかった。

迷った時間も、
立ち止まった日々も、
すべてが今の自分を形づくっている。

そう思えるようになってから、
未来への見え方が少し変わった。

もう遅いのではない。
まだ続いているのだ。

人生が続いている限り、
そこにはいつでも次の一歩がある。

急がなくてもいい。
大きな変化でなくてもいい。

ただ、自分が向かいたい方向へ、
静かに足を運べばいい。

どうやら人生とは、
早く始めた人が豊かになるものではなく、
始めた人から少しずつ開けていくものらしい。

まだ途中ではあるけれど——
最近の私は、そんなふうに思っている。

もう、人生に遅すぎることはない。

そのことに気づいたとき、
未来は思っていたよりも、ずっと静かで、やわらかいものに見えてきた。

人生は年齢で閉じるのではなく、可能性を信じたところから、静かに開いていくのかもしれない。

遅いのではない。その時が訪れただけなのかもしれない。

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