若い頃の私は、いつもどこかで「足りない」と感じながら生きていた。
もっと経験が必要だ。
もっと認められなければならない。
まだ十分ではない。
そう思うことで前に進めた時期もあった。
不足を埋めようとする力は、確かに人を成長させるのだと思う。
けれど、その感覚はいつも私を急がせていた。
ここまで来れば安心できる。
これを手に入れれば満たされる。
そう思いながら歩いても、
なぜか「もう少し先」が現れる。
まるで終わりの見えない階段のようだった。
最近になって、ふと気づいたことがある。
もしかすると私は、
十分になる日など来ないものを追いかけていたのではないか、と。
そう思ったとき、不思議と肩の力が抜けた。
人生は、すべてが揃ってから始まるものではない。
むしろ、何かが足りないまま進んでいくものなのだろう。
振り返れば、どの時期の自分も未完成だった。
迷いながら選び、
間違えながら学び、
ときには立ち止まってきた。
それでも人生は止まらなかった。
もしそうだとしたら、
足りないことは欠点ではなく、
人生の自然な姿なのかもしれない。
最近は、そんなふうに思うようになった。
完璧でなくていい。
人並みでなくてもいい。
今ここにあるものを静かに受け取りながら、
自分の歩幅で進んでいけばいい。
そう考えるようになってから、
心の中に小さな余白が生まれた。
不足を数える代わりに、
すでに手の中にあるものを見るようになった。
特別な何かではない。
日々の暮らし。
穏やかな時間。
何気ない会話。
そうしたものが、思っていた以上に自分を支えていたことに気づいた。
幸せとは、何かをすべて満たした先にあるのではなく、
足りないままの今を受け入れたときに、静かに現れるものなのかもしれない。
これから先も、きっと足りないものはあるだろう。
それでももう、焦って埋めようとは思わない。
未完成のままで歩いていく。
どうやら人生とは、
完成を目指す旅ではなく、
未完成の自分と折り合いをつけていく時間らしい。
まだ途中ではあるけれど——
それでも、今のこの場所も悪くない。
最近は、そんなふうに感じられる瞬間が増えている。
足りないままでも、人は幸せになれる。
どうやら私は、そのことを少しずつ学びはじめているところらしい。
未完成のままでいいと知ったとき、人はようやく安心して生きられるのかもしれない。
