第五話 もう、誰かの人生を生きなくていい

もう、誰かの人生を生きなくていい 整える人生
もう、誰かの人生を生きなくていい

振り返ると、私は長い間、知らず知らずのうちに「誰かの基準」の中で生きてきたように思う。

こうあるべき。
このくらいできていなければならない。
人並みでなければならない。

いつからそう思うようになったのかは分からない。
ただ、それが当たり前のように感じられていた。

周囲に遅れないように。
見劣りしないように。

気づけば私は、どこかで「外側の物差し」を頼りに歩いていた。

もちろん、それが支えになる時期もあった。
社会の中で生きていく以上、基準は必要なのだと思う。

けれどある頃から、小さな違和感が生まれていた。

私はいったい、誰の人生を生きているのだろう。

そう思う瞬間が、少しずつ増えていった。

もっと早く気づいていたのかもしれない。
ただ、認める勇気がなかっただけなのだろう。

自分の道を選ぶということは、
ときに誰かの期待から外れることでもある。

それをどこかで恐れていた。

だが最近、ようやく分かってきたことがある。

人生は、本来とても個人的なものなのだ。

同じ道を歩く人はいない。
同じ景色を見る人もいない。

もしそうだとしたら、
誰かの基準に自分を合わせ続ける必要はなかったのかもしれない。

そう思えたとき、不思議と心が静かになった。

反抗するわけではない。
誰かを否定するわけでもない。

ただ、自分の足で立つ。

それだけのことだった。

若い頃は、「正解」がどこかにある気がしていた。
それを見つけさえすれば、安心できるのだと思っていた。

けれど今は少し違う。

正解は外にあるのではなく、
自分の歩いたあとに静かに残っていくものなのかもしれない。

遠回りに見えた道も、
迷いながら進んだ時間も、
振り返ればすべて自分の人生だった。

そう思えたとき、
肩に乗っていた見えない重さが、すっと軽くなった気がした。

もう、誰かの人生をなぞらなくていい。

うまくいかない日があってもいい。
人より遅くてもいい。

この歩みが自分のものなら、それでいい。

最近は、そんなふうに思える瞬間が増えている。

人生の後半とは、
何かを手に入れる時期というより、
余計なものを静かに降ろしていく時間なのかもしれない。

比べることも、
証明することも、
競争することも、
恐れることも。

少しずつ手放していく。

その先に残るのは、
驚くほど静かな自分の人生だ。

まだ途中ではあるけれど——
ようやく私は、自分の場所に立ちはじめた気がしている。

これから先も迷うだろう。
それでももう、誰かの地図を頼りに歩くことはないと思う。

自分の速度で、
自分の方向へ。

それだけで、十分なのだろう。

人生とは、誰かの期待に応えることではなく、自分の足で立つことだったのかもしれない。

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