恐れが消えたのではない。人生と争うのをやめただけなのかもしれない。
若い頃の私は、気づかないうちに多くのものを恐れていたように思う。
失敗すること。
遅れること。
人からどう見られるかということ。
そして何より、
自分の選んだ道が間違っているのではないか、という不安。
表向きは平静を装いながらも、
心の奥ではいつもどこか落ち着かなかった。
恐れは大きな音を立ててやってくるわけではない。
むしろ静かに、日常の中に紛れ込んでいる。
もっと努力しなければ。
このままではいけない。
まだ足りない。
そんな思いの裏側には、
いつも小さな恐れがあったのだと思う。
けれど最近、ふと気づいたことがある。
あれほど身近だったはずの恐れが、
いつの間にか少し遠くにある。
なくなったわけではない。
ただ、前ほど心を揺らさなくなっている。
なぜだろうと考えてみた。
劇的な出来事があったわけではない。
何かを成し遂げたわけでもない。
それでも思い当たることがあるとすれば、
自分の人生を否定しなくなったことかもしれない。
遠回りした時間も、
立ち止まった日々も、
思い通りにいかなかった選択も。
以前の私は、それらをどこかで「足りなかったもの」として見ていた。
だが今は、少し違う。
あれがあったから今がある。
そう思える瞬間が増えてきた。
過去と争わなくなると、
人は少し楽になるらしい。
そして不思議なことに、
未来を過剰に怖がることも減っていく。
恐れの多くは、
「こうならなければならない」という思いから生まれるのかもしれない。
成功しなければならない。
間違えてはいけない。
人並みでいなければならない。
だが、その物差しを少し手放してみると、
世界は思っていたよりも穏やかだった。
最近は思う。
人生は、思い通りに運ぶことよりも、
起きたことを引き受けながら歩いていくものなのだろう。
そう考えるようになってから、
心のどこかに小さな余白が生まれた。
焦らなくていい。
急がなくていい。
たとえ遠回りに見えても、
それが自分の道なら、それでいい。
恐れが消えていったというより、
恐れと少し距離が取れるようになった——
そんな感覚に近い。
これから先も、不安になる日はあるだろう。
迷うこともきっとある。
それでももう、恐れに急かされるように歩くことはないと思う。
自分の速度で進み、
立ち止まり、
また歩き出す。
その繰り返しでいいのだと、
ようやく思えるようになってきた。
恐れが小さくなると、
見える景色が少し変わる。
風の音や、季節の移ろいのような、
これまで気づかなかったものが静かに届く。
どうやら私は、
人生を怖がることよりも、
人生を受け入れることのほうを選びはじめているらしい。
まだ途中ではあるけれど——
それだけで、十分なのかもしれない。
恐れが消えたのではなく、人生を信じてみようと思えたこと。
それがいちばん大きな変化だったのかもしれない。

