第四話 恐れが少しずつ消えていった理由

静かな朝の眺め 整える人生
静かな朝の眺め

恐れが消えたのではない。人生と争うのをやめただけなのかもしれない。

若い頃の私は、気づかないうちに多くのものを恐れていたように思う。

失敗すること。
遅れること。
人からどう見られるかということ。

そして何より、
自分の選んだ道が間違っているのではないか、という不安。

表向きは平静を装いながらも、
心の奥ではいつもどこか落ち着かなかった。

恐れは大きな音を立ててやってくるわけではない。
むしろ静かに、日常の中に紛れ込んでいる。

もっと努力しなければ。
このままではいけない。
まだ足りない。

そんな思いの裏側には、
いつも小さな恐れがあったのだと思う。

けれど最近、ふと気づいたことがある。

あれほど身近だったはずの恐れが、
いつの間にか少し遠くにある。

なくなったわけではない。
ただ、前ほど心を揺らさなくなっている。

なぜだろうと考えてみた。

劇的な出来事があったわけではない。
何かを成し遂げたわけでもない。

それでも思い当たることがあるとすれば、
自分の人生を否定しなくなったことかもしれない。

遠回りした時間も、
立ち止まった日々も、
思い通りにいかなかった選択も。

以前の私は、それらをどこかで「足りなかったもの」として見ていた。

だが今は、少し違う。

あれがあったから今がある。
そう思える瞬間が増えてきた。

過去と争わなくなると、
人は少し楽になるらしい。

そして不思議なことに、
未来を過剰に怖がることも減っていく。

恐れの多くは、
「こうならなければならない」という思いから生まれるのかもしれない。

成功しなければならない。
間違えてはいけない。
人並みでいなければならない。

だが、その物差しを少し手放してみると、
世界は思っていたよりも穏やかだった。

最近は思う。

人生は、思い通りに運ぶことよりも、
起きたことを引き受けながら歩いていくものなのだろう。

そう考えるようになってから、
心のどこかに小さな余白が生まれた。

焦らなくていい。
急がなくていい。

たとえ遠回りに見えても、
それが自分の道なら、それでいい。

恐れが消えていったというより、
恐れと少し距離が取れるようになった——
そんな感覚に近い。

これから先も、不安になる日はあるだろう。
迷うこともきっとある。

それでももう、恐れに急かされるように歩くことはないと思う。

自分の速度で進み、
立ち止まり、
また歩き出す。

その繰り返しでいいのだと、
ようやく思えるようになってきた。

恐れが小さくなると、
見える景色が少し変わる。

風の音や、季節の移ろいのような、
これまで気づかなかったものが静かに届く。

どうやら私は、
人生を怖がることよりも、
人生を受け入れることのほうを選びはじめているらしい。

まだ途中ではあるけれど——
それだけで、十分なのかもしれない。

恐れが消えたのではなく、人生を信じてみようと思えたこと。

それがいちばん大きな変化だったのかもしれない。

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