第二話 もう証明しなくていい、と気づいたとき

もう証明しなくていい、と気づいたとき 整える人生
もう証明しなくていい、と気づいたとき

振り返ってみると、私は長い間「証明すること」にどこかで縛られて生きてきたように思う。

自分には価値があること。
まだやれるということ。
間違っていなかったということ。

誰に対して、というわけでもない。
けれど心のどこかで、ずっと示そうとしていた。

若い頃は、それが前に進む力にもなっていた。
人より努力しようと思えたし、踏ん張る理由にもなった。

だから決して悪いものではなかったのだと思う。

ただ、ある時から少しずつ、違和感が生まれていた。

証明しようとするほど、どこか息苦しい。
何かを達成しても、また次が現れる。

まるで終わりのない坂道を上り続けているようだった。

最近になって、ようやく気づいたことがある。

もしかすると私は、必要以上に自分を大きく見せようとしていたのではないか、と。

本当は、誰もそこまで見ていないのに。

ある日、そんなことをふと思った。

それは劇的な出来事があったわけではない。
ただ、静かな瞬間だった。

「もう証明しなくてもいいのかもしれない。」

そう思ったとき、不思議と肩の力が抜けた。

何かを諦めたわけではない。
向上心がなくなったわけでもない。

ただ、自分を過剰に背伸びさせる必要がない、と感じただけだった。

それ以来、物事の見え方が少し変わった気がする。

以前なら、人からどう見えるかを気にして選んでいたことも、
今は自分が納得できるかどうかで考えるようになった。

すると、不思議なことに心が軽くなった。

人生は競争だけでできているわけではない。
誰かに認められることだけが価値でもない。

そんな当たり前のことが、年齢を重ねてようやく自分の中に落ちてきたのかもしれない。

思えば、ここまで十分に歩いてきた。

遠回りもした。
思い通りにいかなかったこともあった。

それでも、その時々で自分なりに選びながら進んできた。

もしそうだとしたら——
もうこれ以上、何かを証明しようとしなくてもいいのではないだろうか。

最近は、そんなふうに思うことが増えている。

背伸びをやめると、見える景色がある。

急がなくなると、感じられるものがある。

大きな成功ではなくても、
自分が静かにうなずける毎日を重ねていけたら、それでいい。

以前より、そう思えるようになった。

証明することに使っていた力を手放したとき、
私はようやく自分の歩幅で歩きはじめたのかもしれない。

これから先も迷うことはあるだろう。
それでももう、必要以上に自分を飾ろうとは思わない。

等身大のままで、進んでいけたらと思う。

最近は、それがいちばん自然に感じられている。

人は、何かを証明しようとするのをやめたとき、ようやく自分の大きさで生きられるのかもしれない。

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