振り返ってみると、私は長い間「証明すること」にどこかで縛られて生きてきたように思う。
自分には価値があること。
まだやれるということ。
間違っていなかったということ。
誰に対して、というわけでもない。
けれど心のどこかで、ずっと示そうとしていた。
若い頃は、それが前に進む力にもなっていた。
人より努力しようと思えたし、踏ん張る理由にもなった。
だから決して悪いものではなかったのだと思う。
ただ、ある時から少しずつ、違和感が生まれていた。
証明しようとするほど、どこか息苦しい。
何かを達成しても、また次が現れる。
まるで終わりのない坂道を上り続けているようだった。
最近になって、ようやく気づいたことがある。
もしかすると私は、必要以上に自分を大きく見せようとしていたのではないか、と。
本当は、誰もそこまで見ていないのに。
ある日、そんなことをふと思った。
それは劇的な出来事があったわけではない。
ただ、静かな瞬間だった。
「もう証明しなくてもいいのかもしれない。」
そう思ったとき、不思議と肩の力が抜けた。
何かを諦めたわけではない。
向上心がなくなったわけでもない。
ただ、自分を過剰に背伸びさせる必要がない、と感じただけだった。
それ以来、物事の見え方が少し変わった気がする。
以前なら、人からどう見えるかを気にして選んでいたことも、
今は自分が納得できるかどうかで考えるようになった。
すると、不思議なことに心が軽くなった。
人生は競争だけでできているわけではない。
誰かに認められることだけが価値でもない。
そんな当たり前のことが、年齢を重ねてようやく自分の中に落ちてきたのかもしれない。
思えば、ここまで十分に歩いてきた。
遠回りもした。
思い通りにいかなかったこともあった。
それでも、その時々で自分なりに選びながら進んできた。
もしそうだとしたら——
もうこれ以上、何かを証明しようとしなくてもいいのではないだろうか。
最近は、そんなふうに思うことが増えている。
背伸びをやめると、見える景色がある。
急がなくなると、感じられるものがある。
大きな成功ではなくても、
自分が静かにうなずける毎日を重ねていけたら、それでいい。
以前より、そう思えるようになった。
証明することに使っていた力を手放したとき、
私はようやく自分の歩幅で歩きはじめたのかもしれない。
これから先も迷うことはあるだろう。
それでももう、必要以上に自分を飾ろうとは思わない。
等身大のままで、進んでいけたらと思う。
最近は、それがいちばん自然に感じられている。
人は、何かを証明しようとするのをやめたとき、ようやく自分の大きさで生きられるのかもしれない。

