長い間、私は人と自分を比べながら生きてきた。
とりわけ気になっていたのは、高校時代の同級生だった。
彼らは大学を出て、一流企業に入り、早期退職をして、今は悠々自適に暮らしている。
同窓会の知らせが届くたびに、心のどこかがざわついた。
会えばきっと、まぶしく見えるのだろう。
自分はどう見られるのだろう。
そんなことを考えてしまう自分がいた。
もちろん、表向きは何でもない顔をして過ごしてきた。
けれど心の奥では、ずっと測っていたのだと思う。
他人の人生という物差しで、自分の現在地を。
若い頃は、それが当たり前だった。
むしろ、比べることで前に進めるとさえ思っていた。
けれど、ある時から少しずつ違和感が生まれはじめた。
比べたところで、何かが満たされるわけではない。
むしろ、静かに疲れていく。
そんな自分に、ようやく気がついた。
今年の春、還暦を祝う学年全体の同窓会が東京で開かれると聞いた。
今の住まいからは遠く、交通費もかかる。
実家には認知症の父もいる。
いくつか理由はあったけれど、最終的に私は欠席の連絡をした。
以前の私なら、無理をしてでも出席していたかもしれない。
何となく「行くべきもの」のように感じていたからだ。
だが今回は、不思議と迷いが少なかった。
行かないと決めたあと、心がとても静かだった。
そのとき、ふと気づいた。
私はもう、比べる場所に自分を連れていこうとしていないのだと。
羨ましいという気持ちが消えたわけではない。
ただ、それが以前ほど心を揺らさなくなっていた。
人にはそれぞれの時間があり、
それぞれの道がある。
そんな当たり前のことが、ようやく自分の中に落ちてきたのかもしれない。
振り返れば、私の人生も決して平坦ではなかった。
遠回りもしたし、思い通りにいかなかったことも多い。
それでも、その時々で自分なりに考え、選び、歩いてきた。
最近になって、ようやく思う。
この道は、誰のものでもない。
私自身の道だったのだと。
比べることをやめよう、と決意した覚えはない。
気づいたら、少しずつ手放していた。
もしかすると、人は年齢とともに
背負いすぎたものを静かに降ろしていくのかもしれない。
競争も、見栄も、証明したい気持ちも。
その代わりに残るのは、
「自分の歩幅で生きたい」という、ささやかな願いだけだ。
いまの私は、特別な成功を望んでいるわけではない。
ただ、自分が納得できる毎日を重ねていけたら、それでいいと思っている。
あの日、同窓会の欠席を決めたことは、
小さな出来事だったのかもしれない。
けれど私にとっては、
他人の人生からそっと降りた日でもあった。
これから先も、迷うことはきっとあるだろう。
それでももう、必要以上に誰かと自分を並べることはないと思う。
自分の道を、自分の速度で歩いていく。
最近は、それがいちばん自然に感じられている。
人は、人と比べるのをやめたとき、ようやく自分の人生に戻ってくるのかもしれない。
